あけましておめでとうございます
昨年中は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
WPの調子が悪いのかなんなのか、
入力してenterまたは変換を押すと
ひゅるんと全部消えてしまう現象。
なぜ。。
昨年末は、失礼ながら挨拶もそこそこに
自宅の引越しのため、
展示が終わって余韻に浸ったり
1年を振り返ったり、飲んで騒いだりする暇もなく
バタバタと過ぎ去りました。
財布も落とすしアクシデントが最後の最後まで。
あんなに大変だったというのに
終わってしまえば嘘のように忘れている。
残ったのは恐ろしい肩こり。
振り返るだけでも辛く
人の体の動きの限界はこんなにも狭いものなのかと
思い知らされている。
ドゥークルールの一時閉店も重なり
今までにない忙しさでずっと下をむいて箱詰め
ゴミ袋、荷物と格闘。
これを機にこんまりさんの本も読みました。笑
読み物として面白かったですね。
しかしながら、
彼女の言葉を借りれば
いらぬものをとっておいているつもりはなく
「ときめく」ものが多いから、
「ときめく」たびに手に入れてきたものだから
簡単には減らない。
いかにお金で解決してきたか。
買い物をたくさんした人には
世の中にお金を還元した特典として
逆に還元してほしいものですね。。
断捨離という言葉も片付けの定番になりました。
理屈はわかるのです。
いくら読んだところで行動に移せないというのは、
なにかまだ引っかかるものがあるのかもしれない。
或は怠惰なだけか。。
ものをたくさん所有していてもきれいに整頓してあれば
問題ないこともあるし、
たいして持っていなくても不要なものに囲まれていたり
なにか満たされていないのであれば
片付けとは生き方であるのだろうと思います。
好きなものを手に入れて楽しんできた世代の人たちは
きっとおなじように、
削ぎ落としたいという未知なる世界への欲求みたいなものが
なにもない空間に身を置く度にわき上がるのでは。
ミニマリストなどという極端なものには
今の自分にはありえないし望みませんが
物質的な束縛から解放されたら世の中も違って見えるのかもしれませんね。
前の引越しから一度も手にとったことのないものや
存在すら忘れている「大切なもの」もざくざくでてきた。
とっておくことで安心していたのだと思うけれど
これだけの情報や物を所有していておきながら
活かせていないことなど百も承知で
それでも構わないとソッポむいていましたが
今回は逃げずに向き合ってみようと思いまして。
前に実家を片付ける時に直面した
捨てることの難しさと大切さを
自宅でも痛感することになろうとは。
捨てる作業は他人でもできますが
その決断は所有者しか下す権利はないのです。
その捨てる決断を下す方法こそ教えてと思いながら作業していましたが
これこそ本人が乗り越えるべき壁なのでしょう。
売ろう。
ということで
カフェの什器のひっそり蚤の市を企画していましたが
我が所有物も出品することにしたので
新年早々蚤の市を開催します。
こんな荷物今までどうやっていれていたんだろう。
圧縮でもしていたのかと思うくらいの荷物。
知人が来てびっくりしていました。笑
私もびっくりしているんですよ。
20代からためてきたモノたちを手放す決断を。
よい機会ですね。
カゴがなんでこんなにあるのだろうか。
集めて一箇所におくと
こんなに持っていたっけ、
いままでどこにいたの?と思ってしまいます。
あとは生地。
結局縫わないままでコレクションになってしまっていた
リネンとか。
コレクションのこまごましたものも多数。
ドゥークルールのcloseででた什器も
保管する場所もないことから、格安で販売することに。
日程はのちほどお知らせいたします。
しきりとして使ったツェツェの花器もバラして販売します。
今回は個人日記みたいになってしまった。